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REPORT

KDA2022

審査結果と講評

Posted on 2023.2.23 Last Update 2023.2.24 Author Organizer Tag KDA

KD最優秀賞

中元 萌衣

空際に浸かる
-終着のない旧青函連絡船桟橋で創造する時間-


KD優秀賞

長瀬 ルナ

街の食感を彩る
-土地の個性を呼び起こす新たな表皮-

津村 翔

まちの生き物たちの円環
-失われた生き方を保管する都市型ビオトープの提案-


KD奨励賞

都丸 優也

不協都市のリハーモナイズ
-3つのアプローチにより都市個性を結う音建築の提案-


KD特別賞

木村 友香

現象を描写する建築
-空間の微細な変化による多様な過ごし方-


司会進行

白子 秀隆

白子秀隆建築設計事務所 主宰

1998 東海大学工学部建築学科卒業
2000 東海大学大学院工学研究科建築学修了
2003 若松均建築設計事務所入所

2023年1月28日(土)、KDA2022東海大学建築会卒業設計賞審査会が開催されました。
ここ数年、新型コロナの影響によりオンラインベースでの開催が続きましたが、今年は感染対策をした上で、審査員、学生、OBが会場に集まり、リアルとオンライン配信のハイブリッド形式で審査を行うことができました。

39作品のパネルと模型が展示され、審査員と学生の対面でのパネルデディスカッションから始まりました。トークセッションでは各作品に対しての幅広い議論が行われ、一次投票により、10作品を選定しました。後半のトークセッションでは審査員と学生が模型を囲みながら質疑応答と講評が行われ、最終投票により最優秀賞・優秀賞×2・奨励賞・特別賞の計5作品を選定しました。

卒業設計は敷地やプログラム、設計手法などを学生が独自に設定するため、それぞれレギュレーションが異なります。39作品と出展数も多く、どの作品も物量とクオリティーは非常に高いと感じました。単にプレゼンテーションの差でだけでは優劣をつけ難く、トークセッションでは、KDA2022の審査の評価軸に対する議論も行われました。「コンセプトと提案の一致」「社会に対する問題提起」「ストーリーと形態の整合性」「既視感のない発想力」など様々な評価軸が上がりました。限られた時間の中では厳密な評価軸の確立とはいかないものの、単にサーベイや建築手法の提案だけにとどまらず、建築の「空間」としての魅力があるかどうかがポイントとなったと思います。

作品の傾向としては、地形の操作などによって周辺環境に配慮した「風景としての建築」、既存の街に対して減築や拡張をすることで「街の更新」を試みる提案。異なる領域の関係性をデザインする「境界と領域」、形態操作のスタディーから現象的な空間を考察する「現象と形態」をテーマした魅力的な作品が数多く見られました。

審査の過程で興味深かったのは、光や風、雨といった環境的な要素や、表層のテクスチャーが与える感覚、または、時間や歴史を感じさせる建築のあり方をコンセプトにした提案が議論の中心になっていた事です。
学生は3年間にコロナ禍による生活で、街に出て建築と触れ合う機会も少なく、リモートによる授業が多く、どこか画面を通したバーチャルな経験をしてきたかと思います。
そのような状況であったからこそ、人の感覚に働きかけるようなフィジカルとしての建築の提案が審査員の評価に繋がったのではないかと思います。

最後に、審査を引き受けてくださった審査員の皆様、企画・運営にご尽力いただいた、OBOGの皆様、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。 白子秀隆


審査員講評


梅田 善愛

竹中工務店設計部
シニアチーフアーキテクト
大阪大学大学院非常勤講師

1989 東海大学大学院工学研究科建築学修了
1989 竹中工務店入社

私が学んでいた頃とは比較にならないエネルギーに圧倒された。今の建築学科を、今日学生たちを通して実感できると心躍った。皆懸命に語ってくれた。私も集中して聴き、問い掛け、納得できなければ指摘した。これを先に喋った方が良いよ、論理が飛躍しているから間を埋める説明が必要、それは気にしなくていい、お昼までにスケッチパースを1枚足そうよ・・・。審査員である前に、4年間の学びの締め括りにほんの数分であっても教育的配慮をもって接し、学生たちを導いて来てくれた先生方のご苦労に報いたいとも思った。

都丸君の『不協都市のリハーモナイズ』は、イマジネイションからクリエイションに至る過程が、巧みな表現力によってダイレクトに伝わる秀逸な作品だ。納得感を越えた魅力があり質問は必要無かった。唯一のアドバイスは全体模型を作り「音と建築が地形になり地域の歴史と価値をリハーモナイズする」ことをもっと分かり易く伝えること。入れ替え式の「過去→現在→提案」模型では弱い。達者ゆえに浴びせられたネガティブな意見に対し、懸命に自己を説明しようとする態度を見、社会の諸事情に心折れることもある私自身の日常を恥じるとともに、彼を育てた先生方の教育力に尊敬の念を持った。

中元さんの『空際に浸かる』は、高度経済成長によって失われた私たちの時間を取り戻すという、強い意思と人間に対する優しさが共存し、ミヒャエル・エンデの創作理念を連想させる美しい作品だ。たゆたい消えいく青函連絡船の航跡に、乗客一人一人に時間があるのだと想像させる。ダイナミックな造形力と潮の満ち引きが生む作用を組み合わせ、時間は永遠ではないと、時間を大切にすることの意味を逆説的に問い掛けている。彼女が言う「客観的時間から隔離された新しい時間の使い方」を表現するシーンのつくり込みが不足したことが惜しまれる。

大野君の『都市と自然を境界層で紡ぐ』は難解な説明と饒舌な建築構成が、最後まで自己理解を阻んだ。研究思考と空間思考が重なり、どちらにも振り切れない苦しみを感じつつ、その両方を何とか調停させようともがく様こそがこの作品の魅力だ。秀逸な断面計画に、場所の特性とつくり出したい場の関係性が読み取れ安堵した。彼に必要なのは、建築をシンプルに言語化する訓練ではないか。相当な力量だけに今後どういった人に出会い育っていくか、気になるところである。

他にも具体的な課題に真摯に取組んだ作品に出会えた。『「重なり」から生まれるこどもの遊び場』田村君、『均された地を鳴らす』小倉さん、『見えざる境界を敷く』佐々木君、サイトアナリシス的に都市に切り込んだ一群のなかで『都市に纏う余白』杉浦君、他にももっと。上述の3名は、社会に対し建築が成し得ることは何かという普遍的な問いと向き合い、トレンドに流されない意志の強さを持ち得ていた。

ここ数年、若者の作品に触れ、審査・講評して次のステップへ送り出すという機会が増えた。中でも、卒業設計に順位付けが必要なのかと悩むことしばし。卒業設計とは、4年間どのような教育が行われたのかを大学自らが毎年問い続ける場ではないか。それと同時に、巣立っていく一人一人に適したメッセージを送る最後のチャンスでもあると。どんな言葉でもよい、アドバイスの根拠には「社会は甘くないぞ」というメッセージを籠めて。


森 昌樹

MORIIS ATELIER 主宰

1995 東海大学工学部建築学科卒業
1996 青木淳建築計画事務所入所
2000 西片建築事務所入所

卒業設計には4年間の集大成と、将来設計を生業としていくための布石という2つの側面があると思われる。
通常の審査会では上記の2点における総合力を競うこととなるはずだが、
本審査会は、荒削りで言葉足らずの面はあるが、どこか惹かれるある特異点を持った作品にこそ焦点を当てる、という主旨が元となった偏った視点をもつ不思議な審査会である。

綿密なフィールドワークによるテーマ設定、建築プログラムの選定は近年の卒業設計においての定石である。
審査をする側からはそこを軸足として作品の善し悪しを見定めるのが通例であるが、中元案と木村案に関しては、そのどちらか若しくはその両方が著しく希薄であり、審査員の千里眼が試される、良い意味での「問題作」と言えよう。
中元案は失われた青函連絡船の航路を建築化することにより、忘却の彼方へと進む人々の記憶をつなぎ止めようという作品である。
建築的なプログラムとしては卸売市場と公衆浴場がいちおう与えられてはいるのだが、面積の比からするとそれはごく僅かであり、もはやアリバイ作りのためのプログラムとしか思えない。
木村案にいたっては特定のそれすら与えず、一枚のスラブへの最小の手数で生まれた様々なスケール、光と影、周辺環境との差異、といった要素が存在するのみで、ユーザーがその場に見合った使い方をすることではじめて成立するというプログラム無しのプログラムである。
この二作品を目の当たりにすると、プログラムとは社会状況の変化に伴って揺らぐ不安定なものであり、設計の拠り所にはあらず、プリミティブでエモーショナルな普遍的要素こそが建築の本質であるとあらためて気付かされる。

中元案は歴史的記憶というエモさをさらに絡めたことで、ある一定数の共感を得たのだが、木村案は、より純粋なその姿勢が仇となり、自閉気味な印象をもたれてしまったのではと残念に思うが、ある種の批評性を持った唯一の作品という点においては十分に賛同が得られたと思われる。

コロナ渦におけるオンライン授業でのバーチャルな学生生活を強いられた結果、より「リアルな感覚への探究心」へと向かわせたのか?
そう感じさせた長瀬案は、石材の表皮より滲み出る水滴や木材の外皮に浸透した雨垂れなど実務の世界においてはネガティブな要素となる現象を、ポジティブな要素として捉えるさまは良い意味で学生らしさが感じられた良作である。

また渋谷のオフィス街の中心に都市型ビオトープを提案した津村案にもこれと似た印象を受けた。
排除の対象となるビル風を積極的に敷地内に取り込みつつ、その内部に充填された土をろ過装置として利用することで都市環境を浄化するシステムを街のモニュメントへ昇華させた点が評価されたのだと思う。

結局のところ建築設計とは「線を引くこと」に集約されるのではないかと思う。
線を引くとそこには左と右もしくは表と裏といった関係が生まれ、
それぞれを如何に定義し関係付けるかという行為の連続体が建築であるとも言えよう。
奇しくもこの「線」をテーマに据えた二作品があり、明日からでもすぐに使えそうなものとして興味を引いた。

井の頭公園と吉祥寺の街との境界を対象にした大野案は人工的な街のスケールと公園の持つ有機的且つ広さを持ったスケールが建築内部で鬩ぎ合うダイナミックな構成が好意的な作品であり、一方佐々木案は横須賀米軍基地と街との境界フェンスを建築に置き換えることにより、お互いに無関心な既存の関係性をお互いが意識し合う良好な関係性が生じることを意図した興味深い作品ではあったが、現実的には手を加えられない側の操作に白白さを感じてしまい、そこはあえて寸止めして町側のアクティビティによって基地側が今後どのように変化するのか、、、といった所作の方が現実味があったように思われてならない。


北條 豊

日建設計
アソシエイトアーキテクト

2000 東海大学大学院工学研究科建築学修了
2000 熊谷組設計本部入社
2004 PLANNET WORKS 入社

「どんなルールを導き出し、建築をドライブさせたのかが気になります」

私が建築を評価する上で大切にしていることは、その場の「多様な関係をどのように整理・編集したか」や、ゴールとして「どんな価値を提供できたか」である。建築のプリミティブな部分を扱うことに興味はあるが、それは手段ぐらいにしか思っていない(好みもあるので)。学部での設計課題は敷地やテーマが与えられるので、サッカーのように「決められたルール」があるから面白いと感じている。サッカーは足を使うスポーツで手を使えない。それはとても不自由なことだ。待ち伏せ的な戦術はオフサイドという反則になる。それら規則を守りながら皆でプレイするということも面白さの一つだろう。卒業設計をスポーツに例えるならば、そのゲームのルールを自身が設定することになる。リアルにどんなゲームを組み立てられたのか。プレイヤーとなってどのようにコントロールし、ゴールへと導いたのか。それは、いかに人々を魅了させるゴールになったのか、という評価と言えよう。

「その建築は、どのような環境をつくり、どんな価値を提供できたのだろう」

審査を通じての講評をさせて頂く。卒業設計はある程度のカテゴリーが見え隠れする。今回感じたことは「地方の課題に対する取り組み」や「再生へのチャレンジ」が多く見受けられたことだ。時代の流れだと思うが、都市的な課題に対するものや、見た目でそれとわかるモノ派的なものは少なくなってきたと思う。学生の作品は、いつも時代を映す鏡だと感心させられる。惜しくも受賞とはならなかったが、地方を題材とした岩上案の「集積と細分化」は、土地の記憶や特異性をポテンシャルとして捉えた案で、形や配置に昇華できていた。池谷案の「都市の履歴を晒し続ける」も、成熟した都市における更新作法への問いは、時代を切り開くデザインとして評価できる。そういった案の中で、今回特に完成度の高い都丸案の「不協都市のリハーモナイズ」がある。後にわかったことだが、学部の審査では最優秀とのことだった。KDA審査会では「奨励賞」となったが、課題の見極め、取り組み方法からアウトプットまで、新百合ヶ丘を舞台に敷地のレベル差を活かした案としても良く練られていた。説得力のあるリアリティが特に評価できた。その一方で「最優秀」となった中元案の「空隙に浸かる」は、時間という概念を扱い、場の作り方や考え方が少し曖昧ではあるものの、心地よい「余白」を感じさせるものだった。潮の満ち引きを建築に取り入れる日本的な発想も評価でき、旧函館連絡船桟橋というポテンシャルを活かした提案型の作品であった。未来のシーンイメージを審査側に描かせるようなプレゼンテーションも質が高かった。この二つの案はどちらが最優秀でもおかしくない内容ではあったが、結果は審査会の特性が生み出した差であろう。

「優秀賞」とした長瀬案の「街の食感を彩る」と、津村案の「まちの生き物たちの円環」は、その切り口を特に評価させて頂いた。前者は考え方のダイアグラムがそのまま形になり、卒業設計でありながら手触りまで感じさせるような案。後者は渋谷を舞台に都市の環境装置として在り方を問う案だった。両者とも荒削りな部分があり評価が分かれる案であるが、他にはない魅力を持った建築だった。プロトタイプ的な良案として「特別賞」とした木村案の「現象を描写する建築」や、大林案の「隔て、広げる」等は、建築のプリミティブな部分を扱うもので興味深いものだったが、その敷地や部分に留まらない提案を期待し、リーディングスタンダードとなれるような展開を楽しみにしたい。

最後に「私の案はもっと良いはずだ!」と思うこともあるだろう。それで良いと思う。時と場が変われば、評価も変わる。これから外部での審査会へとチャレンジする案もあると思うが、大事なことは常に外を意識し、自身のストロングポイント活かしたチャレンジをして欲しいということ。そして、建築家目線だけではなく、そこを使う利用者目線、提供する事業者目線等、様々な角度からものを見て・感じていって欲しい。それらの気づきは、未来の良質な建築や場づくりとへつながって行くと思う。

皆様の今後の活躍も楽しみしております。卒業設計お疲れ様でした。


長谷川 倫之

隈研吾建築都市設計事務所パートナー

2004 東海大学工学部建築学科卒業
2006 隈研吾建築都市設計事務所入所

2001年9月11日、当時学生だった私は大学の研修旅行でニューヨークへ来ていた。
世界の貿易センターとしてそびえ立っていたツインタワーは、テロ攻撃によって脆くも崩壊し、建築の本質である外的要因から身を守る箱という役割は無意味なものとなった。
世界・社会が大きく変化するとき、そこには常に要因がある。 例えば、戦争や気候変動、飢餓、そして今回の疫病。
9.11以降も、世界中で気候変動による災害や、内紛、戦争が行われている。
ここ数年もコロナが疫病のパンデミックとなって世界に猛威を振るっている。
そんな中で行われた卒業制作。今年は3年ぶりに対面形式での発表となったようだ。今回卒業設計を出展した学生たちはこのコロナ禍の中、4年しかないキャンパスライフの半分を過ごした年代だ。
奇しくも建築の本質が崩壊となった9.11から20年余りが過ぎた現在、建築の本質を見直すかのように、人々は肉体的、精神的な原始回帰を求め、身体の開放を望むようになった。
学生たちの提案も振り返ると、人間の五感に訴えかける、原始回帰を求める提案が多く見受けられた。彼らはこの特殊な環境の中で、自らの五感をもって作り出したのは、それは至極自然な出来事だったのだろう。

そんな中、印象に残った案をいくつか話したい。

吉松案
KDAを受賞した中元案と近く、山の持つ等高線という標高差と奥行きを使って異なる生態系がオーバーレイされてることを屋根を用いた可視化によって時間軸を物語として残すもの。
複雑な生態系が道や森によって分かれていることに着目したのは素晴らしい。
ただ、屋根をデザインする提案に対して、実際は屋根が見えるわけではなく、軒しか見えなかったのは残念だった。
牛道との関係性や、もっとアイレベルから見えてくる風景としてのスタディを深めた提案ができれば、より良いものになっただろう。

中野案
なにかの物体に柔らかい素材を被せると、そこには静電気などでぴったりとフィットする場所と素材同士の重なりや捻じれによってルーズになる場所が発生する。
建築の大半はオフィスビルやマンションに限られ、その室内空間はほぼ研究され尽くしている。
纏うという行為は被せる対象があって初めて纏える。衣服でもそうだ。人は見た目が100%ではないが、纏うということを単純にファサードととらえ、ファサード(素材やディテール)から建築をデザインしてもよかっただろう。纏うものと纏われるものの狭間から設計し、その行為によって建築単体だけでなく周辺環境がどう影響を受けるのか提案できるとより良いものになっただろう。

長瀬案
建築を食べ物に見立ててしまったかのような、食感という面白い発想から建築を考えている。
台所に並べた料理する前の食材かのように、見た目も彩り豊かでとても美味しそうな仕上がりだ。
食感には、パリ、バリ、さく、ざく、ぐちょ、どろ、etc 様々な歯ごたえがある。
惜しいかな、提案は歯ごたえと直結する断面に向けてではなく、表層というデコレーションによる提案までにとどまった。その食感はどうしてそのような歯ごたえになるのか、もっと断面を研究していけば、もっと豊かで面白い空間が提案できただろう。

津村案
ビオトープを都心に作りましょうという分かりやすい提案。
世界には実際に絶滅危惧種の種を後世に伝えようと何万という種を厳重に保管する場所が存在する。
渋谷という部屋の中に置く観葉植物。ここはそんな種子の博物館として、渋谷の生態系を目で見て手に取って学べる場所、人々の癒しとして機能できたら後世に残るものになるかもしれない。

木村案
屋根の一部を折ることで空間に変化を与え、折れた屋根を伝って光や雨の変化を楽しむ装置の提案。無機質な白は、光の陰影や素材をダイレクトに伝えてくれる。都会の日常では忘れてしまいそうな自然を、ここに来ることで回帰できる公園のような存在だ。
大林案と同様だが、床と天井がフラットで、壁の操作のみでデザインしているのが惜しかった。人の身長は大半が150cm-182cmの範囲に収まるだろう。そのアイレベルからみる風景をイメージしながら、風や光、雨、人などの動きをこの装置を使ってデザインできていたらより素晴らしい建築になっただろう。

ここに載せていない学生の作品の中にも興味深い提案がいくつもあった。
また、出展していた作品のどれもが完成度が高く非常におどろいた。
ただ卒業設計で大事なことは完成度だけではない。設計者である学生本人が楽しめていたかどうかだより大切だ。この先の人生、やりたい仕事ばかりではない。いろいろな理由で提案を何度も差し戻されるだろう。そんな目の前に有る課題をいかに楽しみながら取り組めるかどうか。勿論卒業設計とは卒業するための設計なので作品の完成度も大事だが、大学を卒業するまでの22年よりもその先の人生の方が長い。モチベーションを保ち続けることは並大抵なことではできない。

この先も続く人生で、これからも鋭い感性を持って楽しみながらものづくりに励んでほしい。


榎本直子

KDA2021 最優秀賞
日本女子大学大学院所属

2022 東海大学工学部建築学科卒業
2022 日本女子大学大学院入学

 一年前に頂いた講評を受けて、着眼点から選定敷地といったストーリーと、建築という形として提案することとのバランスについて考えさせられた。そのことを考える中で、ストーリーだけで立ち止まらずに、建築を構成する要素から検討し、新しい空間をつくり出そうとしているかどうかについて、を今回は評価の視点とした。

 津村案は、植物と一体となった建築によって、心地よい風が吹いたり湿度が高かったりなど環境に揺らぎが生まれることで、都市生活によって失われた人間の動物性を揺さぶる提案だった。植物の種類や植物との距離感、天井の高さや外的環境の取り入れ方によって空間に違いが生まれ、体験することで自発的に自分の居る場所を選ぶようになる点が魅力だと感じた。もしも建築だけで動物性を揺さぶられるような提案だったならば、植物と建築が一体になることでさらにビオトープの円環を感じられ、本能的な活動の解像度がより上がると思った。

 野菜の食感は断面の差異によるものであると捉え、地盤面の高さを上下に伸ばすことで土地の個性を断面によって体感できるという長瀬案は、建築とは直接関係ないものを身体的に体験できるようにした提案である。地盤面に対する断面的な操作に加えて、表面は土地の断面的な個性が表皮となってにじみ出ているという点が、食感に着目したことで生まれた提案になっていて面白かった。他の土地ではどのような食感を感じられる建築になるのかを見てみたくなった。

 折るという行為による空間モデルの提案をした木村案。空間モデルとすることで手法と空間が浮き出てきたが、もう少し人に近いスケールのモデルもあれば、ひとりひとりの過ごし方の多様性や、時間や過ごし方の移り変わりが見えてきたのではないだろうか。

 津村案、長瀬案、木村案は建築自体をビオトープとしたり、地盤に断面操作を加えて表面を選定したり、折るという操作といった、建築の構成要素を考え直すことで新しい空間を生んでいた点に共感できた。

 客観的な時間を効率的に消費しようとすることを問題視し、終着のない時間を、終着点が生まれることで失われた空間に提案した中元案。現代のせわしない時間の消費に対して、自分自身が終着点を自由に選択できたり、その先のつながりを連想させたりできるような空間によって、身体スケールで時間の使い方が見えてくる点が大きな桟橋としての構成と共に魅力的だった。

佐々木案の近寄ることのない線的な境界を、活動が起きる面的な境界にすることで、境界の機能を保持しながらも関係性を揺るがすことができるという考えに共感した。領域の分け方のバリエーションを見られた点が魅力的だった。

芸術文化の中心地として発展を続けるという新百合ヶ丘の個性を、丘陵地の欠損部分にあてることで都市・自然・芸術文化を結ぶという都丸案は、囲われた建築ではなく緩やかに結ぶことで新百合ヶ丘らしさを提案するという点がわかりやすかった。

客観的にプレゼンを聞く立場を体験してみると、発表者の言いたいことは思いのほか伝わらないのだなと思った。また、卒業設計を評価するという体験によって、自分の修士設計の軸について考える機会になった。様々な評価軸があることは頭ではわかっていたが、実際に体験することによって、より絶対的ではないことがわかり、設計する側の軸の大切さもわかった。今回の講評で発言したことを残りの修士生活でも自分自身に問いながら、考えを深めたいと思う。


トップ10の作品