お知らせ
REPORT

惜別 原道也先生

Posted on 2022.1.27 Last Update 2022.4.26 Author Organizer Tag アーキリード

原道也先生を偲んで

東海大学名誉教授 藤井 衛

原道也先生は,1999年3月14日(日)に,霞ヶ関ビル33階にあった東海大学校友会館にて最終講義をされるまで,実に41年間にわたり,数え切れないほどの建築学科卒業生を世に送り出され,かつご自分の専門である建築振動学の面でも多大な学術的貢献をされてきました。私が,東海大学に入学した1970年(昭和45年)は,東海大学に学園紛争が起こった年でありましたが,原先生は主任教授として副主任教授の久保田庄三郎先生とともに大変な苦労をされたと聞いております。

建築学科の初代主任教授は分離派として一時代を画した山田守先生であり,ついで剛接構造を称えた内藤多仲先生へと続き,その後24年間にわたって原先生が建築学科をまとめ上げてこられました。私は,原先生から構造力学Ⅰの授業や建築数学の授業を受けさせて頂きました。私にとって,建築設計の授業は自分のセンスのなさから拷問に等しく苦痛以外の何ものでもありませんでしたが,構造力学の授業は未知の世界の扉を開くわくわく感があり,自分の将来はこれしかないといった気持ちで授業に臨みました。大学院に進学してからは,吉成元伸先生のもとで上部構造ではなく下部構造の勉強をしてきましたが,原先生からは常に励ましのお言葉を頂いたものです。

原先生は,大学では怖くて近寄りがたい雰囲気を醸し出されていましたが,ご自宅に伺った時,全く真逆の心優しい方であることに気付きました。原先生からはいろいろな興味深いお話をお伺いしました。いずれ機会があればご紹介したいと思いますが,非常によく覚えていますのは,内藤多仲先生についてのお話でした。原先生は内藤先生から東京タワーの構造計算を手伝うように言われていたそうですが,引き受ける代わりに内藤先生に東京タワーの絵を色紙に描いてくれと言ったそうです。内藤先生が絵はあまりうまくないことを知ったうえでお願いしたそうです。原先生はその色紙に描かれた絵を私に見せてくれましたが,非常に味のある絵でして,二人で大笑いしたことを昨日のように思い出されます。また,原先生は副工学部長の任期を終えた後,時間に余裕ができたせいか私と一緒に地盤振動の研究をしたこともあります。また,あるとき,私は持病の腰痛が再発し自宅で寝込んでおりましたが,原先生がお見舞いに来てくださり感激しました。私にとって,原先生は,指導教授の吉成先生とともに,お世話になったかけがえの無い方です。

1970年(昭和45)年5月20日に,同窓会誌として「東海大学建築会会報」が発刊されました。そのときに「ご挨拶」として以下の文章を寄稿されています。

「東海大学建築会の母体である東海大学建築学科は昭和23年に第1回の卒業生を出してから約20年を経過した。
中略
本来大学の良さは教授陣,教育設備の充実にあることは勿論であるが,何よりも立派な卒業生を世に出すところにある。しかし,卒業してそれぞれ違った職場に散っていった諸君が,今まで孤立した立場で他大学の卒業生に較べて相当に苦労してきたことを痛感していた。ところが,卒業生諸氏のお骨折りで昨年東海大学建築会が発会し,立派な会員名簿もできて相互の連絡が可能になった。誠に喜ばしいことである。また,ここに会員の親睦と研鑽のための機関誌のようなものをつくられるとのお話を聞き,続々と卒業生を送り出す教室の立場として大変力強く感じている次第である。今後,この機関誌充実により,在学生,卒業生,教職員が一貫した何物かによってしっかりと結びつけられ,会員各自の発展に役立つようになることを願ってやまない。」

それから,50年が経過し,今や会報誌はホームページに変わり,東海大学建築会は先生のお気持ちを脈々とつなぎ,在学生・卒業生・教職員を結びつけるくさびとしての役割をしっかりと果たしています。ここに,そのことをご報告するとともに,謹んで先生のご冥福をお祈りいたします。

以上


原先生との思い出

建築学科教授 山﨑 俊裕

東海大学に私が新任教員として着任したのは1995年4月で、原先生は当時特任教授として教壇に立っておられました。原先生と直接交流があったのは、しばらく後に幹事として学科忘年会にお誘いし、陣屋で歓談した時だったと記憶しています。

原先生は毎年4月に開催される名誉教授会の後、時折建築学科に顔を出され、旧H 棟主任室・山田記念室で教員・学生有志と懇親する場を楽しみにされていたようです。懇親会では我々が知らない東海大学・建築学科の歴史・逸話・裏話を、ユーモアたっぷり交えながら楽しそうに若い学生に語っておられました。

原先生と東海大学・山田守先生とのご縁は、当時、早稲田大学に在職されていた内藤多仲先生の指示を受けて代々木校舎建設現場に行った時、山田守先生が現場で凛と立って原先生を待っていたのが初めての出会いだったと言っておられました。その後、原先生は山田先生と一緒に現在の湘南校舎建設予定地に赴き、丘の上から見下ろしながら、「遥か向こうのあそこまでが大学キャンパスになる」という山田守先生の言葉と、その時の感動を回想されていました。当時は、山田守先生の設計された湘南校舎をはじめ、一連の山田守作品の構造設計を内藤多仲先生と一緒に支えられ、大学の給料より構造設計の方で糧を得ていたとも語っておられました。

当時の苦労話の一つとして、建築学科を設立したのはいいが、教員として来てくれる人材が集まらない。学会・構造関係人脈を駆使して教員を集めようと奔走したが、当時無名の東海大学に来てくれる人材はなかなか集まらないので知人の先生の大学に赴き、教員紹介を直接頼み込んだこともあったと、設立当初の逸話を懐かしそうにニコニコしながら語っておられたのが印象的でした。

また、原先生の構造の授業は難解だったというのが、卒業生の回想話でよく聞く話題の一つでした。原先生は大学の語学教育体制が充実するまでドイツ語の授業も担当されていたようで、その意味では大変なマルチタレントだったと思います。

原先生がお亡くなりになる2年ほど前に、藤井先生と一緒にご自宅に伺い、原先生のお話をじっくり聞く機会がありました。原先生はその時もニコニコしながらいろいろなお話をしてくださいました。「東海大学では本当にいろいろなご縁があり、良いことそうでないこともたくさん経験したけれど、とにかく大学のために誠心誠意、本当に尽くしたと。大学にはまだかなり貸しがあるのではないかな・・」、とユーモラスに語っておられました。

振り返ってみると、原先生は大学創設期、建築技術者養成が急務の高度成長期、そして東海大学拡充・発展時期の様々な難局を乗り越え、数多くの建築学科卒業生を世に送り出されました。

東海大学そして建築学科の歴史の証人として、多くの薫陶をいただいた原先生に対しまして、改めて心から御礼・感謝申し上げさせていただくとともに、原先生の永遠のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

合掌


1982年の卒業アルバムより

原先生 2012年

2012年11月 東海大学湘南校舎ネクサスホールにて (写真:建築会事務局)


原道也先生 2021年9月8日ご逝去

~ 原先生との思い出の写真やエピソードをお寄せ下さい ~