KDA2020
審査結果と講評
-はじめに- 司会進行 / 富永哲史
新型コロナ禍が猛威を振るっている最中、例年の通り2021年1月30日(土)、2020年度K D A東海大学建築会卒業設計賞審査会は少し形を変えて開催しました。今年も湘南校舎17号館ネクサスホールに38展の作品が並べられ、審査員の方々は例年通りそこで実際のパネルと模型を見ながら審査頂きましたが、学生はオンライン参加形式という初の試みで1次・2次(最終)審査の末、最優秀賞・優秀賞・奨励賞×2の計4作品を選定しました。
今年は作品の前でのプレゼンテーションが叶わず、学生皆が例年にない状況下で一年間必死に取り組んで来た成果を少しでも多く汲み取れるよう、審査員構成はデザインの授業を担当し直接指導して頂いた非常勤の先生2名、また学生に比較的近い年代であり過去同審査の経験もある卒業生2名、昨年のK D A最優秀賞受賞者1名計5名をお招きしました。
当日はじめに審査員全員で評価軸についての意見交換をして頂きました。エレメント、マトリックス、思考の深度、社会性等、様々なキーワードが掲げられ、審査員それぞれの建築思想や、学生作品のアプローチ全てが異なる以上、そこに軸をつくる難しさとその必要性を改めて最初に共有することで、多数決で平均化されることの優劣ではなく、短時間ではありますが少しでも議論の上で納得した結果を導き出して頂くことを望みました。
その後、事前配布の梗概集をもとに、実際の作品を一時間かけて巡回したのちの一次審査に移りました。本人の説明が無いため、会場に置かれたパネルと模型の表現力に重点が置かれるであろうと予測しましたが、その予測と裏腹に全体的な作品の力量やクォリティーに例年程の差は無く、作品中身の提案性について純粋に評価しやすかったのではないかと思います。
2次審査に進んだのはその中の10作品。学生参加でのトークセッションへと移り、一作品ずつ本人が画面越しにプレゼンテーションを行った後、質疑応答が行われました。選ばれた作品に共通して言えることは、そこにはっきりとした魅力となりうるカタチの提案があったように思います。昨年同様、サーベイから建築を考え、その中で既存の建物や街を全否定せず、操作を加えるリノベーションの提案も依然として多くありましたが、今年はここ数年のその傾向以上に新築の提案もまた芽生え始めてきているような気配を感じました。その中でも学生らしい独自の感覚にしっかりとした理論付を行うことでカタチに必然性を与えている力強い建築提案も印象的でした。最終的に選ばれた4作品はそういった魅力と可能性を審査員が強く感じ取ったのだと思います。
改めまして大塚さん、木村さん、近岡さん、栄さん、受賞おめでとうございます。
また今回選出されなかった皆様もこの一年間、不安と孤独との戦いの中での作業、本当にお疲れ様でした。この成果に全員誇りを持ち、これからも自信を持って歩んでいって頂きたいと思います。
審査員皆様、このような状況下でお引き受け頂き、誠にありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
会場準備に尽力頂いたOBOGの皆様、お疲れ様でした。
司会進行 / 富永哲史
建築会会長
not architects studio 共同主宰
1990年 東海大学工学部建築学科卒業
1992年 東海大学大学院工学研究科建築学修了
1992年 計画・環境建築YAS都市研究所入所
KD最優秀賞
大塚 麻奈
「街を着崩す -ワンピースの構造を用いた文化創造拠点の提案- 」
KD優秀賞
木村 岳
「奇地形に淀む代官山 -「痩せ尾根」から生まれる暮らしのかたち- 」
KD奨励賞
近岡 直
「袖や袂を利かせ、空間を広ぐ -和服的仕立ての法則を応用した空間設計- 」
KD奨励賞
栄 杏奈
「徳之島を筆す -行書の身体的作法で集落に脈を持たせる- 」
審査員講評
篠崎弘之
篠崎弘之建築設計事務所 主宰
2002年 東京芸術大学大学院 修了
2002年 伊東豊雄建築設計事務所 入所
社会も個人の価値観も大きく揺さぶられた一年となった。変わるべきものと変わらないもの、それを都度考えながら判断し過ごしてきた中での卒業設計であったと思うが、その卒業設計が目指すべきものとしての変わるべきものと変わらないものもまた、再認識できた講評会になったと思う。
卒業設計は、その時代がもつ社会的必要性や流れを広く汲み取ること=リサーチと、思考を徹底的に掘り下げていくこと=ダイブ、この2つが必要だと思う。そしてこの2つを軸にして自問自答=リピートしながら作品として成立させていく必要がある。特に自問設定という卒業設計ならではの作業行為がなかなか厄介で、自問や自答だけで成立させる方が良い作品もあったりもする。いづれにせよ、このリサーチ・ダイブ・リピートという3つの行為は建築を設計していく上で必要となるはずで、それぞれの行為を鍛錬していきながら、自分の興味や嗜好の方向性を探っていくことができている卒業設計を見ると、気持ちが良く清々しいものである。今回、難しい一年だった中でもそのような作品が多数見れたことは素晴らしいことである。
その中で、私が1番共感し評価したのは山田案の「高円寺再反転」である。雑然性と規則性という相対しながら共存しているという興味の視点から、それを一つの街区を題材としながら設計手法として成立させようとしている案である。彼の言う雑然性とは多様性を持った自由度であり、規則性とは建築そのものだ。建築が本来担うべき、そこでの豊かな生活や行動が建築をある種解体しなくては獲得できていないという状況を肯定しながら、それでも建築そのものを丁寧に再構築してさらにそのルールを見出そうとする姿勢に共感した。まちづくりのテーブルの中心で指揮棒を振るうことが必要であるならば、やはりそれは建築そのものであるべきだ、そしてその指揮棒は規律性を与えるのが目的ではなく、多様性や自由度を獲得するために振るべきだ、と山田案は建築を介して主張しているのである。現代的なまちづくりへの批評性も持ち得た、思考密度が高い案である。
そしてその指揮棒を徹底的に、ある種傍若無人に振り撒くったのが、最優秀作品となった大塚案の「街を着崩す」である。卒業設計としてリサーチ・ダイブ・リピートのバランスが秀逸であった。機能性は多様に対応すべきで、そのために可変性の担保も必要で、全てにおいて開いてつながることが建築の正しい在り方の時代である。そしてさらに、その場所に行くことの必要性や優先順位が問われることとなった今がある。ではその先には何があるのか、その先の建築をつくる意味はこういうことなのではないかと、すぐ先の明るい未来を見据えながら強く問いかけている提案であり、他全ての案のカウンターとなった。
一方、その大塚案と最優秀案を競うこととなった木村案の「奇地形に淀む代官山」は、指揮棒を振ることを隠しながら、痩せ尾根やすり鉢谷といった造語を用いたリサーチの新鮮な切り口とダイブで作品として成立させている非常に現代的な案である。都市部の中での奇地形と言う言葉も巧妙で、自然豊かな別荘地のような敷地での地形の50cmの高低差と、設定している代官山のような高密都心部での敷地での50cmの高低差は、確かにその価値は全く異なる。だからこその地形の価値を再認識し、建築的構成要素の主役として抜擢していく新しさと説得力があった。しかし私が最優秀案に推しきれなかったのは、屋根のあり方であった。自然発生的な壁と屋根がかりによって場所ができあがっていくイメージには十分共感できたが、それでもやはり奇地形特有のあり方を屋根にも求めていくべきであると思った。この屋根もまた、新しい一つの奇地形としてそこに存在することになるはずだから。
新しい価値観という視点では、八木沢案の「建築の瞬き」も非常に秀逸であった。図書館は最も多様な目的を受容すべき文化的公共建築である。従来の美術館のように順路があるわけではなく、劇場のように一方向の関係でもない。そのような多様性が求められる建築の構成には、文字通り多様な構成が入り混じっていても良いのではないかと、瑞々しく軽やかに提案している案である。彼女の言う境界のデザインとは、建築的な内部外部の境界という初源的な意味ではなく、多様な体験を切り替えていくための装置的な境界であり、まさに映画のシーン展開や小説の段落や本のページをめくるようなものである。その手法の軽やかさに、建築の新しいつくり方の可能性を感じた。
卒業設計はいつでも特別なものだ。20年以上経った今でも、当時の講評会での緊張感や心地よい疲労感は記憶として残っている。だからこそこのKDA審査会があるのであり、開催さえも難しかったであろう今年も、多くの卒業設計OBの方々が尽力してこの審査会が成立したのだと思う。この経験が何らかのかたちで自分の糧になり、そしてまたOBとして後輩たちに伝えていってくれることを願う。
齋田武亨
本瀬齋田建築設計事務所共同 主宰
2003年 東海大学工学部建築学科卒業
2005年 東海大学大学院工学研究科建築学修了
2005年 隈研吾建築都市設計事務所入社
今回の審査は、審査員共通の評価軸をイメージし臨んだものの、評価対象や作品は多岐に渡る結果となった。建築の在り方が急速に多様性を帯びつつある現況が投影されたような、地域性や用途によって、各々の「建築の社会性」を改めて問われる審査であったように思い、興味深く感じた。
最優秀に輝いた大塚案は、服飾デザインの概念を翻訳した設計手法の提案で、現在の都市への問題意識に対し、提案した建築によって周囲の環境改善を牽引しようとする建ち方が意欲的で、受動的な建築が主流な昨今において群を抜いて際立った。「折り」や「絞り」の柔らかい分節を用いて、表裏両面の活動に変化を促す試みは魅力的で、屋根でも壁でもない建築を羽織るような空間性にも好感が持てた。現時点では、シンボル的な計画建物と敷地内における周辺建物との隙間に完結している様にみえたが、パサージュ等、残余的なアーキタイプや都市空間へと展開することによって、より効果的に発展し得る可能性を感じ評価した。
優秀賞の木村案は、既成の街区から読み解いたコンテクストと、その敷地元来の地形における特色を重ね合わせ、二つの観点から「街並み」を再評価し、敷地の特性を顕在化する手法の提案であった。山肌に群生する植物のように、自然発生したかのような風景が、非常に魅力的で好感が持てた。受動的に生成される手法が魅力的である反面で、そのアイデアからもたらされる効果が希薄に思え、もう一推しに欠けるのが惜しまれた。
栄案は、豊かな地域性をもつ集落に、筆脈の概念を翻訳した設計手法を結び付ける挑戦的な取組みでありながら、「ほんの少しだけ付け足す」デザインによって、既成の風景元来の魅力を更に際立たせる提案となっており、アイデアと効果のバランスが良く、建築的な感覚の高さが伺えた。独自性の創出に奔走する現代の地方都市において、非常に歓迎される提案に思え評価した。
ニクソン案も個性的な街区を敷地とし、立体的な街区計画に展開した作品で、フィジカルな既成の風景を保存しながらも、街区内で誘発される活動が一新される様な、デトックス的なリノベーション手法が秀逸で評価した。アイデアが既成の構造に与える影響が疑問視され、賛同を得られにくい結果となり惜しまれたが、既成の街並みを上回る、好感が持てる空間が提示されたのは成果と言える。また、パネルや模型のデザインも秀逸で、自らの提案に対するプロフェッショナリズムが感じられる作品であり、特筆に値した。
澁谷案は、先の二案とは異なり、既存の街並みに混在する、二つのスケールの「ずれ」を立体的に整理する街区計画の提案によって、街に潜在する魅力を引き出すアイデアであり評価した。職住学の共存は地方でも散見されるが、集密した都市部ならではの空間としてデザインし、利用のイメージを具体に提示しており、敷地の独自性を示す秀逸な作品であった。
三尾案も、凡庸にみえる街並みの特色を、構成する要素を拾い上げることで顕在化する手法の提案で、その取組みは、特に地方都市においては需要が高いと感じられた。地域限定ではあるものの、現代的なテーマであると感じ評価した。作品は、都市部の敷地を選定し、イメージが希薄なビル物の設計として展開されたが、進め方によっては、郊外の敷地で、より具体性を持った魅力が打ち出せる作品になったようにも思え、惜しまれた。
武田清明
武田清明建築設計事務所 主宰
2004年 東海大学工学部建築学科卒業
2007年 イーストロンドン大学大学院修了
2008年 隈研吾建築都市設計事務所入社
未来に投げる
実際には実現することはない卒業設計。その価値とは何だろう?
実施を前提としないわけだから、設計というより「プロジェクト」と呼んだほうがしっくりくる。プロジェクトにはpro「前に」+ject「投げる」という意味があるように、卒業設計もまた「未来」を照準に計画を投企することに本来の価値があるのかもしれない。なぜならプロジェクトを「今」のために打ち出しても、実現する頃には「過去」に埋もれてしまうからだ。とはいっても、「未来」を想定し案を投企すること、これは賭けであり勇気が必要だ。現在が照準であれば効果が明らかで誰もが想像し評価することができるが、未来が照準であればその効果は理解されにくく、その読みが外れるおそれだってある。しかし、未来に投げてこそプロジェクト=卒業設計の価値が生まれ、それこそが建築家の本来の職能であると思う。未来から現代を引っ張っていく力が建築にはあるのだから、それを信じて思い切って(かつ厳密に)前に投げてみるしかないのだ。審査を通して、今の価値観にフィットする完成度の高い作品も素晴らしいと感じたのだが、これまでにない新しい価値観で未来に存在するかもしれない建築・空間を提示したプロジェクトに大きく共感し、勇気をもらった。
木村案「奇地形に淀む代官山」は、痩せ尾根に着目し、その場所にもうすでに空間の断片が存在していることを発見している。手を加えた新築部分だけを見ようとすると、ランダムで無責任な建ち方だと捉えられがちだが、彼が創造している空間とは、もっと新しい次元のもので、建築と自然がエレメントを補完しあい、図と地が混在したこれまでにない空間なのかもしれないと感じた。どんな建築も大地の上に建っている。その大地とはそもそも複雑で有機的な存在だが、我々はそれを整地し無効化することでその上に自由な建築を構想する。それが近代から続く現代建築の一般的な建ち方である。しかし、もともとある自然の豊かさまで無視してきてはいないだろうか。このプロジェクトはその違和感にはじめて本気で向き合い、自然と建築のエレメントを融合させようと試み、建築の未来への一歩を踏んでいるようにも思えてきた。
所案「5000m3の絵本」は、今では人気の無くなってしまった駒沢公園から活気を取り戻す計画である。先ほどの木村案と所案には大きな共通点がある。それは、白いキャンバスの上でゼロから建築の始めないという意識である。木村案では自然という複雑な大地をキャンバスとし、所案では都市で使われなくなった舗装、ランドスケープ、段差などをキャンバスとし、その上から建築を始めた。この彼らの世代ならではの共通意識はどこからくるのだろう?それは、これだけ建築が余っている時代の先に、新築をつくり続ける社会が待ち受けてはいないのではないだろうか、とはいってもリノベーションだけでは社会は変えられないだろう、といった将来を見通す予見があるのかもしれない。彼らは新築でもないリノベーションでもない、その間の未来の新しい建ち方を必死に模索しているのではないだろうか。一見手を加える部分が少なく物足りなさがあるように思える一方で、実は将来の社会のリアリティの上に、しっかりと切実な建ち方をしているようにも感じさせる提案であった。
未来は、誰にも予想がつかないし、答えもない、そしてそれぞれの信じる方向に必ず開いているものだ。だからこそ、今ではなく未来に向かってプロジェクトを投げかけたい。学生からのたくさんの個性的な新しいヴィジョンに出会い、我々も勇気をもらった審査会であった。
山口紗由
メグロ建築研究所 共同主宰
2008年 日本女子大学家政学部住居学科卒業
2010年 日本女子大学大学院修士課程修了 在学中に Drawing notes 共同主宰
最終投票で私が3点、2点、1点を投票した作品について触れたいと思う。
澁谷さんの作品は、まず建築は誰のためのもので、誰によって作られるのかという強いメッセージ性に惹かれた。それは第三者から与えられるものではなく、自分たちでつくり、手に入れるのだという宣言のように感じた。
仕事のネットワークは、お互いが生きるために必要不可欠な繋がりである。大田区の町工場で問題となっている後継者不足という問題に対し、仕事と住まいだけではなく学ぶための機能を挿入することで、新陳代謝を伴う再構築を実現している。彼らが生きるために取り入れた新しい機能が「学び」であるということが、この作品の全体を貫く作者の思想めいたものであり、力強さを感じる。これは生きるための家なのだ。設計では、鉄骨造と木造の生産スパンを利用して絶妙なズレをつくり出し、その隙間に空間を挿入している。よく細部まで検討された設計であるが、出来上がったものが作者の意図だけでなく、自然発生的に生まれた空間のようにも見える。これは生きるための家を成立させる必要な条件であるようにも感じた。
栄さんの作品は、徳之島の村全体に対する提案である。実際は壁に囲まれた空間でないのに一体的な空間を感じ、物理的に接続していないのにつながりを感じる。人間の空間に対する認識と物理的なギャップを書道の筆脈になぞらえて設計手法としているのが特徴である。徳之島は都心とは異なる密な人のつながりを持った場所であるが、それに反して住まいのつくられ方が閉鎖的であることに対して問題提起しており、壁や塀などの建築的なエレメントを繊細に変化させることで、それまでなかった村のコモンスペースを捻出している設計が面白い。また、それらが島に吹く風の通り道となっているというストーリーも魅力がある。ただ単に物理的に繋げてコモンスペースを作りましたというだけではなく、風が通るから人も流れて、場所によっては留まり、付かず離れず良い関係性を作っていこうという、自然由来の押し付けではないデザインが村の雰囲気に合って成功している。
木村さんの作品は、渋谷の地形や高低差から着想した作品である。道玄坂はもともと現在より急勾配の坂であったことから、坂を上がる手前の場所で旅人が一服するための茶屋が発展したことで生まれた繁華街であり、地形の高低差が文化を形成していった歴史がある。そのような背景を持つ街に対して、地形を生かしつつ壁を無造作に配置した場の設計によって、新しい賑わいを作り出そうという提案である。高低差があることによって壁の高さに多様さが生まれ、ところどころに屋根を置いてより積極的な居場所をつくる。それらがまだらに混じり合う場所は、様々な文化の発信地としての渋谷の風景をより魅力のあるものに変化させる力があると感じた。
審査全般を通して、東海大学建築学科の多種多様性が印象に残った。広い範囲を対象とした街の再構築を試みる案もあれば、建築の造形力で勝負する案、生活に根ざした案など、各々の関心ごとが似たものが一つもなく、それぞれが自分の信じる方向を突き進んでいる。特に今年度はコロナ禍ということもあり、自宅で自問自答する時間が多かったのだろうか。いずれにしてもそれぞれのテーマに対して深度が深く、とても頼もしく感じた。
今年度の審査は、Zoomを駆使した遠隔審査会となった。そのため学生は会場に来られないが、各々大学内に待機して審査員から出た質問に対して画面越しに機敏に回答していた。また、この会を運営されているOBOGの皆様はそれぞれのiPhoneやiPadを駆使して模型やパネルを撮影して発信してくださり、遠隔とは思えない熱量の審査会となった。大学生活の集大成である卒業制作に真剣に取り組む学生と、それを支える先輩方という構図を感じて、とても胸が熱くなりました。楽しい時間をありがとうございました。
昨年は審査される側だったこの審査会に参加させて頂く上で私が大切にしていた評価の基準は、「その人の人間性がどれだけ建築の形として現れているか」です。
どこに敷地を設定して何を提案しても良い卒業設計はどうしてもその人が自分自身と向き合って独自の考え方や設計のプロセスを生み出す必要があると思っています。自分の好きなものや興味から形を設計する作品も、敷地や社会問題をテーマに設計を行う作品もそれは変わりません。最終的な完成度が稚拙でも、設計したその人の人柄が見えるような作品に焦点を当てて見させて頂きました。
そういった意味で、大塚さんの「街を着崩す」と木村くんの「奇形に淀む代官山」は“興味”と“敷地”全く別のスタートから自分と向き合って独自の提案を生み出した、素晴らしい作品だったと思います。
「街を着崩す」は大塚さんの興味・関心のあるファッションの分野から「ワンピース」をピックアップし、更にその「素材」「布の加工や絞り」に焦点を当てて研究を重ねていった結果、空間そのものを人々がまとって街の活動をおおらかにする建築になったのだと受け取りました。自分を信じて造形をスタディし続けたのが分かる内観の模型写真が非常に魅力的でした。
木村くんの「奇形に淀む代官山」は道を歩いているだけでは気付きにくい代官山の「痩せ尾根」という微細な地形に壁や屋根を細かく配置し、地形を強調させながら人々の活動と絡めることで街特有の空間を作る手法とそれを具体的に実現していく手腕が秀逸でした。街を俯瞰して見えないものを発見する力と、細かいインフラの提案まで設計しきる、ミクロな視点とマクロな視点を使いこなす設計者としての在り方が素晴らしいと思います。
近岡さんの「袖や袂を効かせ、空間を広ぐ」は1枚の布から和服を仕立てる過程で余った部分を袂やおはしょりとして多用途に機能する考え方を建築に活かして、「余りのデザイン」とも言える豊かな空間設計手法になっているところが魅力的でした。
栄さんの「徳之島を筆す」は行書の筆脈という概念を島の集落の平面・断面ともにうまく落とし込んでいて、実際に存在する空間のようなリアリティを感じました。ミニマルな操作で最大限効果を生んでいて地元を深く知っているからこそ、ここまで的確な提案ができるのかと感心させられました。
齋藤さんの「154階建ての街」は曖昧なレベルのスラブを多数設定して、使う人のスケールの違いによって多様な使い方が生まれるのを街全体に展開しようとしているのがとても良かったです。
所くんの「5000m3の絵本」は広場ではあるけど閉じてしまっている駒沢公園を色々な角度から大胆に切り取ることで周辺のプログラムと混ざった空間を生み出す手法が興味深かったです。パネルの俯瞰パースが非常に力を持っていて魅力的な提案でした。
雨宮くんの「住宅街を歪ませる」は、歩いている体験として単調に感じる住宅街の歩行空間に疑問を抱いて、住宅街にある公園に操作を加えることで人々の歩く時間感覚にアプローチしようとした考え方が独特で、個人的に強い興味を抱いた作品でした。
審査会ではあまり触れられませんでしたが、難波くんの「境界のすゝめ」も、都市と建築の間に存在する「境界」を徹底的にデザインするというシンプルな切り口ながら非常に強いこだわりを持って設計されているのがわかる作品でした。
今年度の卒業設計は新型コロナウィルスの影響もあり、1人で考えて1人で作業する時間が多かったのではないかと思います。このような特殊な状況下で、しっかり自分という人間と向き合って独自の形を生み出した提案が多く、審査を開始する前にとても驚いたのを覚えています。
学生の皆様、1年間本当にお疲れ様でした。