中江隆
Takashi NAKAE 第17期生(1977年卒業)
Posted on 2015.5.14 Last Update 2019.12.3 Author Organizer Tag 同窓生紹介私は今、東海大で非常勤講師を始めて1年になります。そこでの私の中心コンセプトは、「考える」という事です。
私は大学では構造系を選択しましたが、構造と言っても振動学系の研究で、卒業研究は多質点構造物の弾性応答解析のプログラム作成でした。今のようにパソコンがある時代ではありません。今のパソコンより能力で劣る大型コンピューターを用いてフォートランを用い、パンチカードでプログラムを作成するのですから大変な時間がかかりました。振動がどのように質量に作用するかについては真剣に考えたし、何度もデバックを繰り返し、コンピューターセンターで順番待ちで結果を待ちました。頭に染みついた経験でした。
その卒研が縁で永坂先生の初代院生になりました。大学院での研究テーマは「鋼繊維コンクリートの補強効果に対する実験的考察」でした。通常は先生の研究テーマからテーマを選ぶ事が多いのですが、この時は先生の初代と言うことで、自分で考えて見ろということになり、テーマ選定までは非常に苦しい思いをしました。「考える」と言う事の重要性を認識した最初の思い出です。もちろん入社して建設現場に行ってからも考える事抜きには始まりません。考えなければならないことは多岐に渡ります。施工方法・手順・工程・職人さんとの付き合い方。更にコストや法律についてや、施主との折衝方法等、考えなければならないことは広がるばかりでした。
そしてもう一つ学生の皆さんに伝えていきたいと思うのが「経験の重要性」です。本や座学で知る知識はもちろん大事ですが、実際の経験をすることはもっと重要なことです。
大学院2年の時に先生や学生と一緒に宮城沖地震の調査に行きました。M7.4の地震ですから、東日本大震災の9.0に比べれば大幅に小さい地震ですが、地震で壊れた建物は東日本大震災より多かったのです。1981年の建築基準法の大改正はこの地震への反省から耐震基準の大幅な強化が図られましたが、壊れた建物を見た自分にとって当然の事と受け取れました。阪神淡路の地震ではそれまでの常識を覆すような壊れ方でしたが、本や写真で見るのと実際に見るとでは大違いです。
入社2年目に配属されたのが東海大湘南11号館でしたが、母校を造る経験が出来るのがこの業界です。その後も多くの建物の建設に携わってきましたが、東京支店に転勤になって最初の現場が中央線を跨ぐ国分寺駅ビルの工事でした。線路上空に建物を造る仕事は他の建物にない苦労がありましたが、その経験からその後東海道線と京浜東北線を跨ぐ大井町駅ビルの工事では副所長をさせて頂きました。
実際に見て、実際に携わると言うことは本当に大事なことだと思います。もちろん、その経験を生かさなくては意味がありません。東日本大震災で最大の被害をもたらしたのが津波でしたが、1993年に起きた北海道南西沖地震はその後の計測で30m以上に達した津波は奥尻島のほとんどを洗い流し、死者・行方不明者230人を出しましたが、なぜか他の場所でも起こりうると言うことにはならずに、原発等の防災に役立てられずに東日本大震災での結果を招いてしまいました。
2009年9月からは建築安全の職に就いていますが、施工でも安全でも、そして設計でも「考える」事と「実際に見る・やってみる」事は大事なことです。もちろん「何かをやる」についてはそのリスクも考えなければなりません。今後も出来る限り多くの人にこうした事を伝えていきたいと思っています。
中江隆(なかえ たかし)
- 1954
- 東京都中野区で誕生
- 1979
- 東海大学大学院修士課程修了 戸田建設株式会社入社 横浜支店建築工事部配属
- 1987
- 東京支店建築部転勤
- 1990
- 11月より作業所長(36歳)以後所長として11作業所
- 2008
- 札幌支店建築安全課長
- 2010
- 本社建築安全課長
- 2014
- 東海大学非常勤講師(施工・生産構法)現在に至る 10月より東京支店建築安全部指導役 (定年後再雇用)