稲葉和也× 羽生修二「文化としての建築や都市を楽しみ、後世に遺そう〜世界遺産から近代建築まで」
建築かふぇ2013秋
- 対談
- 文化としての建築や都市を楽しみ、後世に遺そう〜世界遺産から近代建築まで
- 講師
- 稲葉和也先生 × 羽生修二先生
- 開催日
- 2013年11月3日
- 会場
- 東海大学湘南校舎ネクサスホール
11月3日の建学祭、ホームカミングデーにあわせて湘南校舎で開催された建築かふぇ2013。今回は建築史を専門とされる本校のお二人の先生をお招きしました。講演は羽生先生に司会を務めて頂きつつ、対談形式で進められました。
まずはお二人が建築史家を志した頃のお話を伺います。
稲葉先生「早稲田大学のマスターで中国の建築と都市について研究していたが、中国では文化大革命が始まっていて現地調査に行けなかった。そのため自分の研究テーマではないものの、大学のエジプト発掘調査団に5年間加わった。この経験が歴史を志すきっかけになった。」
「今までは建築史家イコール学者で、彼らは文献だけで研究していた。文献だけでは建築は分からない。まずは建築ありきだと考えた。建築史を実学として位置づけていきたいと考えた。」
羽生先生「学生運動が盛んだった70年安保の時代、建築は壊して作ればいいという気運が高まっていた中で、建築とは何かということを考えた。」
「現地で建築を測って図面化するという建築の調査をする内に、建築は愛されながら作られているということを感じるようになった。保存に興味を持つようになり、歴史の道に入って行った。」
お二人が歴史系を選択されたきっかけには、偶然にも当時の社会情勢が少なからず影響を与えていたようです。
続いて調査についてのお話です。
羽生先生「現地で建物を見ることがまず必要。建物あっての建築。文献や写真だけでは研究にならない。」
「今の学生はスケール感が足りないと感じる。調査で寸法を測り建築を体感することは、設計をやっていく人にも勉強になること。」
稲葉先生「実物を当たって調べることは、建築を読み解くこと。」
「民家や近代建築が壊され始めている。これらを保存するには、いい建築を判断することが大事。美意識を持って調査する必要がある。」
以前は今と違い、自治体等からの依頼ではなく、いくつかの大学が共同して自主的に調査を行う機会が多かったそうです。
稲葉先生と羽生先生も他大学のメンバーとして、現地の民家や公民館に泊まりながら一緒に調査をする機会があったということです。
羽生先生「調査をする時、まず神棚に向かいご先祖様に挨拶をする。地場の暮らしを知り理解すること、生活を理解することは建築に関わる者には大切。」
「調査を通じて、建築の文化としての要素を学ぶことができる。」
稲葉先生「現地の町の人や現場の住人と話しながら調査をする。人とのかかわりは建築を仕事とする人にとっては大切なこと。」
また、調査は学生と先生のコミュニケーションにもいいようです。稲葉先生「学生が現場で少ない金で宴会を企画できる力がつく。」(会場:大爆笑)
印象に残っている調査のエピソードは。
稲葉先生「真夏に四川省で漢のレリーフの拓本を取っていて熱中症になりかけた時、農民が冷たい水ではなく熱いお湯を飲ませてくれ、びっくりしたがこれで回復した」
「中国で焼餃子とチャーハンが食べたいと言って驚かれた。中国の人にとって焼餃子は水餃子の残りを焼いたもの、チャーハンは残飯を炒めたものだった。」
羽生先生「フランスではおいしいワインと食べ物があり美しい女性のいる街にはいい建築がある。味覚が優れていると美意識が高い、古い建築がいいと現代建築もいい。いい建築を作り続けるといい街になる。文化と同じように建築も綿々と続くべきだ。」
次に、保存についてのお話です。会場の椎名先生、矢ノ上先生にも加わって頂きました。
羽生先生「建築家は産みの苦しみを一番分かっているのに、保存については大きな声で発言しない。」
稲葉先生「経済合理主義が原因。建築家は歴史家以上に保存を意識するべき。」
羽生先生「壊さずに残す、保存して更によくする、という考え方が日本に生まれてこない。建築家を目指す学生を、もう少し他の方法で教育する必要があるのかもしれない。」
「しかし実際にはコンクリートの処理方法は難しく、保存修復方法が確立されていないという現状もある。」
椎名先生「表面的な補修はいくらでもできるが、鉄筋は修復しにくい。鉄筋をステンレスにするという方法もあるが現実的かどうか。」
東海大学の山田守建築の「打放しコンクリートの美学」を保存して行くことは重要なのでしょうか。
羽生先生「表面を加工してオリジナリティを失ってまで保存する必要があるのかどうか。」
稲葉先生「代々木の1号館を国の登録文化財に推してはどうか」
山田守事務所にもいらした矢ノ上先生は、代々木の1号館は山田守らしくなく、湘南校舎のH棟もお金がない時代の大学の記録なので、むしろ長沢浄水場を山田守の建築として保存したい、とのご意見でした。
羽生先生「保存、修復は色々な分野の専門家が関わらないとできない。研究室同士の連携や、大学としてプロジェクトを立ち上げることが有効なのでは。」
稲葉先生「大磯駅前の大正元年にできた2×4工法の洋館がなぜ地震に強いのか、地元である東海大学の構造研究室に調査してもらいたい。保存修復を通して大学内の各分野が繋がって行くのでは。」
稲葉先生によれば、明治時代に外国人居留地であった築地は関東大震災で全滅してしまったものの、長い間日本の洋風文化の中心だったということです。そして現代に残るほとんどの日本のミッション系学校の発祥の地であったことが近年分かってきたそうです。しかしこの文化について知っている学者、建築史家は沢山いたはずなのに、記録が何も保存されていないとのこと。建築調査を通して文化を保存し、守っていくことの重要性を感じました。
最後に現役の学生にメッセージを頂きます。
稲葉先生「パワーを持って建築をやっていくことが重要。社会には東海大の卒業生も沢山いるので発言力を持って山田守の精神を受け継ごう。」
羽生先生「建築は文化であるので、大いに楽しもう。無神経な設計で満足しない社会人になってほしい。」
建築を作るだけでなく調査、修復、保存していくことが、文化を守って行くという意味でも現代の建築家に求められている資質であることを強く感じました。また研究室が連携しあって建築の保存、修復分野で東海大学が活躍することに期待したいと思います。
講演会後はH棟に会場を移して懇親会を開催しました。様々な年代間で話が弾み、賑やかな懇親会になりました。今後も先生方やOBの方、現役の学生も交えた会の開催を検討していますので今回はご参加頂けなかった方も今後は是非、ご参加ください。
稲葉先生、羽生先生、貴重なお話をどうもありがとうございました。
稲葉 和也(いなば かずや)
- 昭和13年 本籍静岡県 満州新京市(現長春市)に生まれる
- 早稲田大学建築学科卒業、同大学院博士課程(建築史)修了
- 昭和43年〜早稲田大学(産専)、文化学院講師
- 昭和53年〜平成12年 東海大学建築学科専任講師・助教授
- 平成12年〜20年 東海大学大学院文明研究学科講師
- 著書 「漢代建築の復元的研究」
「建築大辞典」
「日本民家語彙辞典」
「日本人のすまい」
「Japanese Dwelling」
「大礒のすまい」
「東村山市史」
「東久留米市史」
「台東区史」
など
羽生 修二(はにゅう しゅうじ)
- 千葉大学工学部建築学科卒
- 東京都立大学工学研究科建築学専攻博士課程修了し、博士(工学)を取得
- フランス政府文化省主催「古建築保存と歴史高等研究所」で資格取得
- 1995年〜2013年 東海大学教授
- 著書 「ヴィオレ・ル・デュク〜歴史再生のラショナリスト〜」鹿島出版会1992
「カラー版西洋建築様式史」美術出版社1995
「世界の建築・街並みガイド1 フランス・スペイン・ポルトガル」エクスナレッジ2003
「モルドヴァの世界遺産とその修復」西村書店2009
など