上田至一
Yoshikazu UEDA 第31期生(1991年卒業)
Posted on 2014.10.31 Last Update 2020.6.8 Author Organizer Tag 同窓生紹介私が所属している会社は、いわゆる組織設計事務所と呼ばれる建築設計諸々を生業とする企業です。近代建築の巨匠の一人に数えられる創始者が、大阪に事務所を起こして今年で90年。現在全国に約300人の所員を抱える組織としてこの業界では割と広く認知されています。この組織には、ごく一般の企業でも当たり前な「総務部」「企画部」や設計事務所ならではの「設計部」「設備部」「構造部」の他、「コスト管理室」「マネジメントビジネス部」「ファシリティ・ソリューション部」といった耳慣れない部署等があり、多様な業務をそれぞれの部署が守備範囲を少しずつリンクさせながら、PM(プロジェクトマネージャー)の元に分業しています。
私は現在この組織において、都市計画や都市開発に関連する業務を主として担当する「都市デザイン部」に所属しています。都市デザイン部の業務において「都市デザイン部=都市をデザインする=大上段に理念を掲げて都市を描く」は一つの理想像ではありますが、実際においてはその理想を実感できる場面は多くはありません。その業務は多種多様であり、半期~1期程度の短期間にまちづくりに関わる調査を行う業務から、企画部門や設計部門と連携しながら、長期の大規模プロジェクトに横断的に携わるものまで様々です。
その中にあって私は後者に近い都市開発諸制度を活用した開発案件の業務推進を主として担当しています。都市開発諸制度とは、公開空地の確保など公共的な貢献を行う建築計画に対して、容積率や斜線制限などの建築基準法に定める形態規制を緩和することにより、市街地環境の向上に寄与する良好な都市開発の誘導を図る制度のことで、①再開発等促進区を定める地区計画②特定街区③高度利用地区④総合設計の4制度を呼んでいます。私は当該制度を用いた行為は、上位計画を吟味しながら建物とセットで提案することから、広域な都市計画と一般的な建築設計の中間領域の街づくりであると考えています。
私は、物づくりのアプローチは大まかに2通りあると考えています。何もない所から必要なものを積み上げていく方法と最大限のボリュームから不必要なものを差し引いていく方法です。前者は音楽的であり後者は彫刻的であると言えるかもしれません。所謂「建物を設計する」という行為の場合、その思考は概ね前者に偏っているように感じられます。一方、都市計画の場合は一見後者であると考えがちですが、公共施設整備という観点から前者も多分に含んでいると言えそうです。その際たる例が都市開発諸制度を活用した街づくりであり、この二つのアプローチのせめぎ合いが「都市デザイン」の面白さだと感じています。
業界の実務を見渡した時(我欲が優先されたある場面においては)、建物は商品と呼ばれ、街づくりとは無縁なある特定のベクトルをもつこともあります。一方で、街づくりはそこに関わる全ての人が、その役割を意識して責任を持って取り組むべきもので、他人任せでは良い方向に動いていきません。社会的なインパクトのある公的空間を形成する場面において、あらゆる立場で関わる者が、より大きな責任と役割を持つということ——それを銘肝し実践していけることが、街づくりに身を置く者に求められる資質であると思っています。
上田至一(うえだ よしかず)
- 1993
- 東海大学大学院修士課程修了 株式会社 安井建築設計事務所
- 2013
- 同社 東京事務所都市デザイン部主幹 東海大学非常勤講師